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巻号65(15)(597)
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アサヒカメラ 65(15)(597)

アサヒカメラ 65(15)(597)

著者
朝日新聞出版, 朝日新聞社
刊行頻度
月刊
原本の出版者
朝日新聞出版
原本の出版年月日
1980-12
製作者
国立国会図書館

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書誌情報

資料種別
雑誌
ISSN
0044-9148
ISSN-L
0044-9148
タイトル
アサヒカメラ
タイトルよみ
アサヒ カメラ
巻次・部編番号
65(15)(597)
出版年月日等
1980-12
出版年(W3CDTF)
1980-12
刊行状態
刊行終了
刊行頻度
月刊
刊行巻次・年月次
1巻1号 (大正15年4月)-33巻4号 (昭和17年4月) ; 34巻1号 = 194号 (昭和24年10月)-105巻7号 = 1125号 (2020年7月号)
数量
冊 ; 26cm
並列タイトル等
Photograpy journal Asahicamera
Photo journal Asahicamera
Asahi camera
the Japanese journal of photograpy
寫眞雜誌
出版地(国名コード)
JP
本文の言語コード
jpn
NDLC
ZK5
一般注記
出版者変遷: 朝日新聞社 (1巻1号-93巻4号)
以後休刊
本タイトル等は最新号による
並列タイトル変遷: Asahi camera (1巻1号-70巻15号)→ Photo journal Asahicamera (71巻1号-75巻14号)
タイトル関連情報変遷: 寫眞雜誌 (1巻1号-30巻4号)
並列タイトル関連情報変遷: the Japanese journal of photograpy (1巻1号-14巻6号)
休刊: 1943-1948
国立国会図書館雑誌記事索引 35 (2) 1950.02~35 (12) 1950.12
国立国会図書館永続的識別子
info:ndljp/pid/7969791
コレクション(共通)
障害者向け資料
コレクション(障害者向け資料:レベル1)
コレクション(障害者向け資料:レベル2)
コレクション(個別)
国立国会図書館デジタルコレクション > デジタル化資料 > 雑誌
製作年(W3CDTF)
2011-03-31
受理日(W3CDTF)
2013-02-28T14:57:23+09:00
記録形式(IMT)
image/jp2
デジタル化資料送信
図書館・個人送信対象外
所蔵巻次・年月次(所蔵事項)
1巻1号 (大正15年4月)-33巻4号 (昭和17年4月) ; 34巻1号 = 194号 (昭和24年10月)-105巻7号 = 1125号 (2020年7月号)
請求記号
Z11-28
原資料(JPNO)
00000982
掲載誌(国立国会図書館永続的識別子)
info:ndljp/pid/7977299
連携機関・データベース
国立国会図書館 : 国立国会図書館デジタルコレクション

目次

  • 長野からの帰り、上野の旅館に泊まったとき、そこの奥さんに勧められ結婚式をあげたんです。

    チエコ・ゲイニー

    p14~15

  • アールのもとを逃げたのは六七年九月。もう、少しでも日本へ近づきたいと思って……。

    ケイコ・マクマリン

    p16~18

  • 「結婚すてもいいけど塩釜には来てほしくない」ってお母さんいいました。

    キヨ・アルウッド

    p19~21

  • ニッポン離れて二十七年ね。姉も妹も生きてんのか、死んでんのか……。

    ナナ・ヒル

    p22~25

  • あわててテレビのスイッチを入れたとたん、「あ、これはダメだな……」と思いました。

    ミチ・ワッシャム

    p26~28

  • 米船にはわたしのように国際結婚した女の人が百人くらい乗り合わせていました。

    トシ・マロン

    p29~33

  • 生死の確認もできず、籍も入れられない子ども抱えて雨の日に泣きました。

    C・J

    p34~36

  • 父は怒ってGHQへどなり込んだんです。「娘を返せ……」って。

    シズコ・ムーア

    p37~39

  • 現在の生き甲斐は、華道を通じて日米親善に尽くすことでございます。

    サダコ・オーラー

    p40~41

  • 「黒ん坊なんかと一緒になって」と言われた父とは三十年以上も会っていません。

    ミサコ・ノーリー

    p42~45

  • 主人は銀行に勤めて二十六年、いまはロングビーチブランチの支店長です。

    テルコ・ウォークウィツ

    p46~47

  • 毎年クリスマスイブには一族が集まって、賑やかなパーティーを開きます。

    スージー・ルダット

    p48~49

  • 七夕の日に日本を離れましたが、母のために主人と二人着物姿で記念写真だけは撮りました。

    スミコ・レム

    p50~51

  • 「サヨナラ」って映画、あのなかの琴の演奏がわたしの初めての仕事です。

    カズエ・クドウ

    p52~53

  • 変だなと思っていましたが、再婚した夫は朝鮮で負傷し、男でなくなってたんですね。

    ジョイス・ホフライター

    p54~55

  • アメリカ人は割り切っていて、離婚した前の主人、奥さん連れて子どもに会いに来ます。

    スミエ・チークス

    p56~58

  • 今はアメリカンシチズンですし、若い時特攻隊のひととの思い出、しといてよかったです。

    N・C

    p59~61

  • 結婚てことよりも、アメリカで自分を試してみよう、そういう気持ちが強かったんです。

    クミコ・ペイトン

    p62~63

  • 白人の旦那さん持ってる人同士は親しいんですが、わたしにはよそよそしいんですね。

    T・C

    p64~65

  • 日本を出たのはちょうど皇太子さまの結婚式のとき。白のコートに帽子かぶって羽田を発ちました。

    マリアン・スペリー

    p66~69

  • 当時の日本の男の人は、ダブダブのズボンはいててみんな栄養失調みたいでしたから……。

    ミズエ・デレスダーニア

    p70~72

  • アメリカは豊かな国じゃない。働かなきゃ生きられないって思いましたね。

    カズエ・エリオット

    p73~75

  • 貧乏のどん底生活……。兄はダイナマイトで、二人の弟は栄養失調で死んじゃいました。

    ミヨコ・スミス

    p76~77

  • 日本で自立しようと思いましたが、父なしの〝あいの子〟って目がありましたから……。

    リタ・リチャードソン

    p78~80

  • 「ミンクのコートが欲しい」って冗談に言うと、本気で買ってきてしまうような人でした。

    サエコ・ウイラー

    p81~84

  • 一度日本へ帰りたい。帰って、あの燃えるような日本の紅葉が見たいです。

    キョウコ・ミドルトン

    p85~87

  • 日本人と話すことめったにないので、日本語だんだん忘れていきます。

    ハルコ・バーク

    p88~89

  • 日の丸の旗はぜひ尊敬しなければいけません。日本のシンボルでしょ……。

    シゲコ・ガルシア

    p90~91

  • 毎月一回、杉並にいる元気な母とテレホンで話すのが楽しみです。

    ゲイル・バートゥ

    p92~95

  • リタイアしてこのサンジエゴにおちついてからは、退屈なくらい平和な生活です。

    シズ・ウィリアムズ

    p96~97

  • 地元の新聞社が「日本からウォーブライドが来た」って写真入りで記事にしたり……。

    ミツヨ・ブリンカホフ

    p98~99

  • プロポーズされましたが、わたしの方が十三歳も年上でしたし……。

    シゲコ・サッサー

    p100~101

  • 十二歳のクリスティーヌは「ミス・アメリカになるんだ」なんて言ってます。

    ナオコ・ストナー

    p102~103

  • 彼は日系二世。むしろ、母の方が乗り気で、縁談を進めちゃったんです。

    キャサリン・スガノ

    p104~107

  • 通りすがりのおばさんが長男を見て「また弾よけが生まれたな」って言うんです。

    E・A

    p108~110

  • 「日本人が洋服着て歩いてる」なんて言われるくらいひどい田舎でした。

    リツコ・ブライト

    p111~113

  • こうして子どもに囲まれて……幸せって思わないとバチが当たります。

    カズエ・ワッツ

    p114~115

  • ネービーに入った息子が、横須賀に立ち寄ったとき、日本人のお嫁さんができたんです。

    ミユキ・マーフィー

    p116~117

  • 母と二人で考えたのが、進駐軍相手のクリーニングなんです。

    フミコ・マッケイ

    p118~121

  • 最初の夜は私の家でした。私の方から求めたんです。ありがたいような気持ちでした。

    M・K

    p122~125

  • 日本には〝里帰り〟という言葉がありますが、この言葉が胸に響くんですね。

    ヒロコ・カスタグナ

    p126~129

  • 国際結婚のための〝花嫁学校〟で一緒に勉強した花嫁は百四十二人おりました。

    チヨノ・スカァブロー

    p130~131

  • 生活にゆとりができて、子どもが欲しいって思ったときは、女じゃなくなっていました。

    ヒサコ・デラノ

    p132~134

  • 両親が世界一周の旅の途中、博多の家を訪ねてくれて、結婚を申し込まれたんです。

    ヒロエ・クロー

    p135~137

  • 日の丸の旗を掲げた自衛艦がサンジエゴの港を出るとき、必ず泣けてしまうんです。

    ナオミ・キャンベル

    p138~139

  • 毎日の食卓にしてもわたしは箸、主人はナイフとフォーク。やっぱり落ち着きません。

    ヨーコ・ハーマン

    p140~143

  • 主人と銀座とか新宿歩いてると、よく「パン助!」ってののしられたもんです。

    ケーリー・ラバディー

    p144~146

  • 「アメリカへ行けばお金は木になってる……」くらいに思って横浜を離れました。

    チエコ・スカイラー

    p147~149

  • 初めの主人は飛行機事故で亡くなり、その後二人のハズバンドと別れ、今四人目と一緒。

    トリコ・フォーク

    p150~155

  • 頭の中では日本、日本って考えていても、体はアメリカ人の生活になってるんですね。

    フミエ・アルバーソン

    p156~159

  • 洗濯屋の主人が「この人なら間違いないよ」って勧めてくれたんです。

    シズエ・ジョンソン

    p160~161

  • 今は商売のほかに貸家八軒、三百五十エーカーの不動産を持たせていただけるようになりました。

    ユタカ・レッドベター

    p162~163

  • 母は一家六人の髪の毛、爪を集めて形見にし、自決に備えていました。

    ミサコ・ゴーディー

    p164~165

  • 母子六人、引き揚げ船で佐世保に着いたのは昭和二十一年の椿の花が咲いているころでした。

    チサト・カリー

    p166~167

  • たまにはケンカしますけん。そのときは日本語とイングリッシュがチャンポン。

    ミツコ・ローリー

    p168~169

  • 主人の父が「家は貧乏でもミリオンの愛があります」って歓迎してくれました。

    タキコ・ライト

    p170~171

  • 父を殺した原爆はいまいましいですが、アメリカを憎んだことはありません。

    マサコ・コロネル

    p172~174

  • チャイニーズ経営のジャガイモ畑で、出荷のアルバイトよくやりました。

    ミツ・バーネット

    p175~177

  • 日本の実家に八年ぶりに「帰るから」と電話したんです。でもいい返事じゃなくて……。

    H・P

    p178~179

  • 最後の手紙は遺体より後に届きました。惚れてたんですね……急に悲しくなって。

    ヒロミ・ローガン

    p180~183

  • とにかく優しいんです。タンポポとかレンゲの花を持ってきたり。女心としてはしびれちゃいます。

    ミツエ・ライフ

    p184~185

  • 山形の養老院にいる八十二歳の母には、時どきお小遣い送ってるんですよ。

    ヨシコ・ラウリー

    p186~187

  • 一人で始めた男物のパンツ会社、今従業員が百二十人。一ヵ月の売り上げは十二万ドルです。

    ヒロ・ロングネット

    p188~190

  • 若かったんですね。福岡の板付にいた主人を好きになったの、あたしが十六歳のときです。

    シズカ・バイヤー

    p191~193

  • 終戦後は浮浪児でしたから、母の遺骨がどうなったのか、父のお墓もどこにあるのか……。

    マリー・ハウザー

    p194~197

  • 日本へ戻って母の元で一ヵ月半。これが最後の親孝行になりました。

    ミチコ・オリバー

    p198~199

  • 主人はニッポンが大好きで、「タテグショクニンになる」といって頑張っています。

    タマエ・アレン

    p200~201

  • ひとのダンナとしたとかされたとかの話、珍しくありません。

    K・W

    p202~204

  • 生家は農地改革まで千葉県柏市に五十町歩の農地を持っていた昔の名主です。

    キョウコ・ドゥマス

    p205~207

  • 初対面なのに電車賃貸してくれて、親切にしてもらいました。それが交際の始まりです。

    ユキエ・グレコ

    p208~209

  • 「あんたたちの結婚にはアゲインスト(反対)する」って海軍大佐の義父からいわれました。

    ミカコ・ジョンズ

    p210~211

  • 福岡の空港に着きましたが、父も母も家族全員が迎えに出てくれてたんです。

    ツルエ・ハリソン

    p212~213

  • わたしたちが年ごろのころ、大勢の人が外人に憧れていたと思いますよ。

    ミツコ・アイビー

    p214~215

  • 主人と初めて会ったのは、日本では万国博、ベトナムでは北爆が続いていたころ……。

    キミコ・ランドルフ

    p216~217

  • 町のレストランで、わたしは入れても、アメリカ人の主人は入れないんです。

    キョウコ・ムーディ

    p218~219

  • 横須賀にいた姉もアメリカ人と結婚し、いまテキサスにいるんです。

    ミノリ・マイヤーズ

    p220~221

  • 母は英語がゼンゼンわからないのに、隣の白人の家へ行って遊んだりしています。

    サヨコ・ウィンストン

    p222~223

  • ことしの正月なんかたったの三ドル。これだけ貧乏すると悲しくもありません。

    S・W

    p224~226

  • 東京を発った日、父は一日中泣いていたって、亡くなってから父の日記で知りました。

    キミコ・イエッツ

    p227~229

  • 「うちの主人、いいひといるみたいなのよ」って。小柄で綺麗な人でしたが……。

    ツルエ・ハリソン

    p230~233

  • 主人の二番目の息子が、わたしと同い年ですから、ちょっとおもろい夫婦ですねん。

    ジュンコ・カード

    p234~235

  • 長男のスコットが「おとなになったら宣教師になって日本へ行く」なんて言ってます。

    アキコ・ワイアット

    p236~238

  • 一世のおばあちゃんが「かわいそうに、黒ちゃんのワイフなんかになって……」って。

    N・P

    p239~241

  • 突然実家に帰って、家族がびっくりしてるような……そんな夢みるんですね。

    ナオコ・ロジャース

    p242~243

  • ヒデシのお母さんは門司で生まれ、お父さんとは福岡で会ったんですって。

    ユキコ・マーフィー

    p244~245

  • 息子のウエディングには友だちが料理持ち寄ってくれて賑やかでした。

    M・F

    p246~248

  • 年表 花嫁86人の軌跡

    p249~254

  • 「戦争花嫁」へのこだわりをふくらませる

    江成常夫

    p255~257

  • 座談会 女が家を離れ、国を離れて生きるということ

    桐島洋子 ; 森禮子 ; 吉田ルイ子

    p258~263

  • 二つの文化のはざまに生きる日本人女性

    多田道太郎

    p264~265

  • 彼女たちの異質の苦労が魔力のように私をひきつける

    片岡義男

    p266~267

  • 声をあげる術もないひとたちの「語り」をひき出す

    富岡多恵子

    p268~269

  • ≪花嫁のアメリカ≫--荒野を歩くにも似た人間宣言の年月

    森崎和江

    p270~273